Flowe of life -Life is ART-

旅する絵描きの日々と想い。

【屠殺】鶏をこの手で絞めた日ー後編ー

※事実をきちんと伝える為、生々しい表現があります。苦手な方は読まない方が良いです。


【屠殺して、湧いた感情】


お父さんと2人、小屋に放された鶏を、捕まえようと追いかけ回す。



ーころされるー


とでも思っているのか、2羽は必死に逃げ回る。


ついに捕まえ、あたたかい鶏の温度と羽根と肉の感触が、素手に伝わる。


両足を掴み、逆さにして外に出る。
と、途端にお父さんが鶏の首を捻り始めた。



「えっ?!」




驚きを隠せない私。

何度か首を捻られ、苦しみ藻掻く鶏は、芝生の上に投げられた。


「やってみろ!」


と、言われた訳では無いが、焦燥感にかられ、鶏の両足を股に挟み、首を掴む。


もう、悩んでる暇は無かった。



「ごめんなさい、、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!」



心の底から溢れる感情を、私は何度も何度も叫んでしまった。


ーそんなに謝るのなら、やらなければいいだろうー


鶏は、そう思ったに違いない。
湧いた感情の相殺の為だろうか。


「ごめんなさい」


その言葉は虚しくも、想いが込もった、意味のない言葉でしかなかった。


上手く捻られず、なかなか死なない。
しかし、お父さんの鶏よりも、私の鶏は、大人しかった。


ーまるで、私の気持ちを察しているかのようにー


お父さんの指導の下、首を引っ張り、さらに血管を千切った。


鳴き声は、どんどん小さくなる。



あっという間過ぎて、恐怖心は何処かへ行ったようだった。
無意識の、興奮状態だった。
私の覚悟は冷静さを持ち合わせていなく、感覚と記憶力を鈍らせた。


「苦しまないで。
早く、鳴きやんで。」


自分が奪った命に対して、
なんて残酷な感情だろう。と思った。

私は、極悪人になったみたいだった。



沸かしておいたお湯に、逆さにした鶏を頭から入れて、毛穴を開く。


そして、羽根を毟った。


想像以上に、羽根は毟り易く、鶏は、どんどん鶏肉になって行く。


そして不思議な事に、私の罪悪感は薄れていく。



麻痺していたんだろうか。
自分が、怖く感じた。


さっきまで「鶏」だった。
さっきまで「生きて」いた。


今ではまるで、スーパーに並べられた「鶏肉」だ。


普段、鶏肉を見ると「美味しそうだな」と思う人が多いだろう。
店に並ぶ鶏肉を見て、「可哀想」とも「ごめん」とも思う人は、あまり居ないだろう。
ベジタリアンや、ヴィーガンの人はとても思うだろう)



そう、羽根をもげばもぐ程、それは「美味しそうな鶏肉」になって行った。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



これは、私の素直な正直な感想だ。
悲しくも、私は“命”をまだよく知らない、現代を生きる人間だった。
それを、思い知らされた。


頭が、おかしいと思われるかもしれないし、私が屠殺をした事を、引く人もいると思う。

しかし事実、普段何気なく肉を食べて暮らしていて、その裏側には、多くの闇があるのだ。


劣悪な環境での飼育。時に、訳もなくころされる命。ヒヨコの時点でころされる事もある。

食べる事や売る事がが目的で命を生産する事は、本当に必要だろうか?

生きたまま鶏を熱湯につける。豚をスタンガンでころしながら蹴る。等、、、

ころし方、虐待が問題視されている。
が、ころし方が良ければころしてもいいか?と言われると、分からない。。

弱肉強食

生き物の世界も、人間の社会も。
古く昔から、世の中の“アタリマエ”だ。


個人が、肉を食べずに生きる道もある。


だが、だからと言って全人類がベジタリアンになる事はないだろうし、現状はなかなか変わらないだろう事実もそこにはある。


犬や猫に関してもだ。売る為に劣悪な環境で子供を産ませる。無理矢理に子供を作らせる。見た目が悪いところされる子犬や子猫。障害があれば即処分。


この世の中は、どうなっているんだろう。頭が、心が、ついていかない。




鶏の羽根を毟った後は、その構造へ興味が湧いた。


血は思ったよりも少ない。
内臓を取り出す方法、切る順番、切りやすいポイントを教わる。始めに、首と足を切った。


胃袋は固く、その内側は黄色く、模様は脳に似ていた。そこには餌がパンパンに詰まっていた。さっきまで、しぬとは思っていなかった命だ。


腸は広げると蝶の様だった。心臓は小さく、肺も僅かだった。内臓の匂いは鶏肉らしかった。
食道は、なかなか千切れなかった。







私は、焼き鳥屋さんで、鶏の内臓を食べる時に、これは何羽分の鶏の心臓だろう?
と考えた事はあったかな。


手羽先や鶏の足の肉付きの良し悪しを、意識して食べた事はあったかな。


私が普段日本で口にしていた鶏肉のルーツを知れば知る程、信じられなくて、悲しくて、気持ち悪くなった。


(検索すると、本当に沢山の事実を知る事になります。目を背けたくなる光景ばかりです。が、「知らない」で生きていくのではなく、私は知りたい、「知った上で、生きたい」と思いました。)


言い方を変えれば、私は自分の知的好奇心の為にこの行為をしたに違いない。
私は偽善者だと思う。
それが良いとか悪いとか、答えはない。


この経験を多くの人に伝えて、考えて貰う機会を作ろうとする事も、エゴで、自己満足に過ぎないと思うと、胸が痛む。


いくつもの命の犠牲があって、生きていると言う事。

(命を頂いてる事は、知っていたけれど、頭で理解してるのと、実際に体験するのは、大きな違いがあった)


そんな事を毎食毎度、意識して食べてはいなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー






【美しい】


屠殺をしながら、何度も湧いた感情。
しんだ鶏の表情は、どこか安らかだった。
そう思いたかっただけかもしれない。

人間は、自己防衛本能があるから。
自分を守る為に、都合のいい解釈をしただけかもしれない。


でも、やはり美しかった。


足も、内臓も、張りのあるプリプリの肉も、綺麗だと感じた。

切断した頭を撫でながら、色んな事を自問自答した。

色んな感情を、整理した。
それは、なかなか難しかった。

そんな簡単な問題ではなく
これで終わりではないから。


私はもっと


ー知りたいー


そう思った。


命の事。
食の事。

食べる事は、生きる事。

生きる為には避けては通れないから。


「屠殺して、私は何を思うだろう?」


その答えは、
現時点での答えは、、、


「もっと知りたい」


だった。


そして、もう一つ。


ー誰かが毎日毎秒、鶏や豚や牛を絞める役を担ってくれているー


と言う事実。


だから、私はこの手を汚す事なく、美味しい肉が食べられるのだ。
笑っていられるのだ。
平気で、「お腹いっぱいで苦しい」と言えるのだ。


日常生活でもそうだ。
誰かが、してくれてるから、自分がやらなくて済んでる事は、山程あるのだ。


忘れてはいけない、大切な事を再確認した。



そして、これから発する


いただきます


と言う言葉は、以前より重みを増すだろう。




ーーーーーーーーーーーーーーーーー



紛れもなく、私が一つの命を奪ったのだが、どうしても


一つになった


と言う感覚が湧いた事が忘れられない。
これもまた、防衛本能なのか。



もしかしたら、鶏の魂が生まれ変わり、いつか私と出会い、恨まれる日が来るかもしれないなぁ、なんて考えたりもした。


ころされてもおかしくない。
一つの命を奪った代償は大きい。


今、私は日毎にこの経験をした事実を、少し悔やんでしまいそうになっている。
それ程、大きな事をした。と言う事の実感が、やっと湧いたのだ。


あの時、私の心は麻痺していた。
感情を必死で抑えていた。自分を守る為に。



人間や犬や猫はころせないのに
何で鶏はころせたんだろう?
可愛がってる鶏でもころせたか?
食べる為?普段食べてるから?
虫は食べないのにころす事もある。
不都合だところすの?
ころして良いもの、悪いものの違いなんてあるの?

命の重さに優劣も大小も、無い筈。
誰かが、命を奪って良い訳なんて、無い筈。


犬や猫の殺処分を、反対する。
しかし、鶏や牛や豚がころされるのは黙って、肉を食べる。
肉は、死体であり、命だと言う事が、わかりにくくなっている、日本の現代。



正解なんてあるの?

苦しい。悲しい。分からない。



まだ、答えが出ない事が沢山ある。


人生は、世の中は、答えのないものだらけだ。


きっと、それぞれ、「自分の正義」に従って、落とし込み、生きていくのだろう。


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焼いて食べる筈だった頭と足は、隙をつかれ、猫に食べられてしまったが。。


夜は、パラグアイ名物“アサード”(バーベキュー)



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自分がころした鶏を食べた。


すごく、すごく美味しかった。
細かい所まで綺麗に、味わって食べた。



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泣き叫ぶと思った。
怖気づくかと思った。
食べられなくなるかもと思った。


色んな意味で、想像と異なる結果になった屠殺。


これで、命の重みが分かったなんて思わない。
むしろ、全然分かってない事がまだまだあるって気付かせてもらった。


屠殺は、振り返れば一瞬の出来事だった。


私は人間だから、自分に都合の悪い事は、忘れてしまうんだろう。


だからまた、やるかもしれない。



ー大切な事を、忘れない為にー



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今回、貴重な経験をさせてくれたお父さんに、感謝しています。


お父さんは一緒に鶏をころしながら「生きてくためだべぇ」と言いました。


その言葉は、私のどんな言葉や感情よりも重さがあった。
生きる(食べる)為に、必死だった過去がある人だから。


年末年始に、「民宿小林」では飼っている豚を殺して食べるみたいです。興味のある方は、是非訪ねて見てください。




※今回の屠殺は、お父さんの好意でやらせて貰っています。この宿のイベントとして定期的にある訳でもなく、頼んだら必ずさせて貰える訳ではありませんので、ご注意下さい。



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(鶏を絞めた日の夕陽。悲しくも美しかった。)



※長い記事を読んで下さりありがとうございました。



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