Flowe of life -Life is ART-

旅する絵描きの日々と想い。

【豪雨災害】ボランティアの役割を考える

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2018年7月

西日本で起きた、豪雨災害。

悲惨な状況。
テレビの向こう側は、遠いようで近い。
SNSで流れてくる、“ボランティア募集”の文字。


『力仕事は苦手だな』

『自己満足や偽善でしたくない』

熱中症感染症が心配だ』

『現地まで行く費用や方法は?泊まる所はあるの?』

『誰に、何処に連絡すればいいの?』


“行きたい”気持ちと同時に、
こんな疑問や心配をした人は少なくは無いだろう。



でも、



『何かしたい』

『自分に出来る事はないだろうか』

『時間はあるから動きたい』

『お金はあるから寄付したい』

『時間もお金も無いけど何かしたい』


心配事が多々ある中、
そんな想いを持った、沢山の方々へ。



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私が訪ねた、“被災地”、“被災者の方々”

そして、私が感じた、“ボランティア”とは。


それを、綴らせて頂きたいと思います。





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日本で災害が起きる度、被災地に行って
手助けをしている友人〈おーちゃん〉がいる。


その友人に連絡をし、私は、ボランティアセンターの支部である【下有井サテライト】に配属された。


汚れても良い服と靴。
熱中症感染症対策の為に必要な物。
その他、必要最低限の物をリュックに詰めて。


災害が起きてから約2週間後。
川が決壊した事で被害が深刻な、岡山の【真備】に辿り着いた。



何をするのかも具体的に知らないまま、ただ、想いだけで動いた。そんな人も少なくは無いらしい。


南米を旅した後、ちょうど一時帰国したタイミングで起きた災害。時間的余裕のある自分が、動かない理由はなかった。


自身、災害ボランティアは初めてだった。
振り返ると、様々な理由があるのだが
今回行動に出られたのにはキッカケがある。


つい最近、地元である大阪北部で地震が起きた時、友人〈おーちゃん〉が災害支援に来てくれていた事が、本当に本当に、心強かったからだ。

その感謝もあり、自分に出来る事があるならと、行動させて貰えた。


誰しもが、そう言う環境にいる訳ではない。


『仕事』がある
『子育て』がある
『介護』がある
『身体の不自由』がある
『心の健康』がない
『金銭的余裕』がない
『時間的余裕』がない


それぞれの事情がある。
行きたくても行けない人達”がいる。


そんな中、今回ボランティアに行けた事は有り難いこと。


いつか、また、どこか大切な人のいる場所や、地元で大きな災害が起きた時の為にも、どうしても【経験】し【学び】たかった。


そして、それが自分の今後の人生において、絶対に必要だと確信した。



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想像していたのは、体力仕事だけ。
土や泥、家具などを運んだり片付ける泥臭いイメージ。


しかし実際は、ボランティアセンターに集まったボランティアさんを、必要な場所に、必要な人数行って貰い、必要な作業をして貰う様に、導く役割を担った。


流れを簡単に説明すると、


【1.現地調査でニーズを聞き出す】

【2.作業日程、必要人数を考え、必要な物資の準備、住所と地図の照らし合わせ等を行う】

【3.派遣されたボランティアの方々へ一日の流れを説明+熱中症対策を促す】

【4.場所、人数を振り分けて、現場に行ってもらう】

【5.活動報告を受け、次回に繋げる】



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ー女手は必要ない?ー


A.全く、必要である。



大きな荷物運び以外にも、水害により汚れた家の掃除をするのは、細かい部分はもちろん、女性性が生かされる場面が多々ある。


サテライトの運営も、電話応対、拠点の掃除や支援物資の管理、掃除、受け付け、ニーズ調査(被災したお家を一軒一軒訪ねて、困っている事を聞く)など、力仕事以外がほとんどだ。


男女、で分けるのは好きじゃないけれど
ここに来て、それぞれの役割を上手く生かして組織を円滑に動かす重要性も学んだ。


男性が、得意な事をする為に
女性が、出来る事をして支える。


力仕事が得意な女性もいるし
逆に力仕事が苦手な男性もいるから
100%言い切れないけれども、
そうやって、サテライトは機能していた。


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毎日、ミーティングがある。
報告し共有し、迅速に対応する為にも、とても必要な事。
一刻を争う状況。少しでも早く、何か出来る事を、自ら探し取りに行く連続。



短期のボランティアも、長期のボランティアも、それぞれの役割があって、それぞれ無くてはならなくて。


1日だけしか居れないから、あまり役立たないって事は絶対になくて。
その1日の、1人1人の力が合わさって、大きな力になる。




長期でいると、何度も伺ったお家の方と、顔見知りになっていく。

「今日、○○さん家よろしくね!」

と言えば、サテライトのメンバー全員が住所を把握している場合もある程だ。



顔、名前、住所を知った
昨日までの“他人”は今日では“知り合い”。
人と人の距離なんて、一瞬で変わる。

被災した家の前で、様々な会話をして
何度もいたたまれない気持ちになる。

『ありがとう』

そんな言葉を幾度も貰い、これまた
何とも言えない感情になった。

余裕がないはずなのに、、冷たい飲み物を用意して渡してくれる家が多く、
人間のあたたかさ、大変な時こそこうやって
相手を労り、支え合って行くのだと
そうやって支え合って生きてきたのだと
実感させてもらった。




途中、台風の影響で、ボランティアセンターが閉まった事により、作業人員が確保できず、サテライトのメンバーだけで活動する日もあった。


人が、足りていない。
台風の影響で状況が悪化するのではという不安。
まだ、出来る事があるのでは。


様々な感情が湧き、4泊の予定が、7泊に。
それでも、心配は尽きないし、
もっと、出来る事はあると思う。
時間が許す限り、此処で何かしたい。
そんな気持ちが湧いて出る。


そう思わせる理由は何だろう?




【明日は我が身】


同じ地球で生きる人間。
他人事じゃない。


【皆の想いはひとつ】


だから、生まれたチームワーク。


少子高齢化


被災したお家のほとんどは、高齢者が住んでいた。作業が捗る訳がない。人手が必要だ。そして、これからもっと少子化する日本にはもっと『災害支援する文化』が根付く必要があると感じた。


テレビのニュースで、どう報じられていたとしても、実際は、現地に居る人が一番感じてる事、知っている事が、リアルで。


情報が溢れた社会だからこそ、
信頼出来る情報を、得られる力を持つべきだと思う。


現地に行かないとわからない事、
知りえない事が多くある。
被災した方々と、直接話して感じて。
自分のやるべき事、
できる事を探す日々。

少ないけど、
無力じゃない。
微力が集まれば、
大きな力になる。


色んな形の支援、応援があり
人の力×お金の力で、継続的な支援が必要だと感じた。


大切な地元や、仲間に何かあった時に
何か出来る自分になって帰りたい。
自分の手を、人を助けられる手にしたい。



時間が無くて、
お金が無くても、
信頼できる情報を拡散したり、
持っている知識を生かして、
手を貸す事って出来ると思った。




『ボランティア』と一言で言っても
その真意は、可能性は、方法は無限だ。


それぞれが、それぞれの出来る事を見出し
出来る範囲で、出来る時にやる。


『なにかしたい』
と言う気持ちだけあれば、いいと思う。
それは、愛であり、
巡って行くと思うから。


大切なのは他人事だと思わない事。
また、周りの目を気にして
判断したり、やめる必要はないと思う。
逆に、周りの目を気にして、やる必要もない。


その時、そこに生まれた、その気持ち。


それを、大切にすると言う事が
行動に、未来に、繋がるんだと思う


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(マッサージ師さんの施術、コーヒー炊き出しのイベント)


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(看護師さんが作ったマニュアル、引き継ぎにも活用)


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(簡易の無料美容室)


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(今回、下有井サテライトを運営するに当たり、一番に声をあげ動いた代表の旅商人、亮章くんにもすごくお世話になりました)


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みんな、生きていて。
同じ人の人生で、同じ人間で。

亡くなった家族がいて、
壊れた家や家具もその一つで、

とてもとても、デリケートな問題で。

でも、上を向いて前を向いて
歩いていかなければいけなくて。

2階まで水に浸かった家を目の前に
泥だらけのぬいぐるみや、壊れた家具
土砂だらけのアルバムを手に
涙や溜息がこぼれても。


それでもかけがえのない命はそこにあり
それは絶対に守らないといけない。


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物にも、命は、宿る。

そこに『ありがとう』をして
時には『さよなら』をして

失った物の中に
得られた事を見出して
強く生きないといけないんだろうな。


多分、自分が思うよりずっと
ずぅっと辛い事で
悲しい事も沢山あって


想像出来ない部分も多くある。


けど、私達は生きなくてはいけない。


立ち止まっていられない時もある。



だから、
だから、手を取り合う必要がある。




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(下有井サテライトの仲間。毎日入れ替わり立ち代わり、支援者が集まる)


何かあった時、方法を知っている強さ。
助け合える仲間がいる、強さ。
『助けて』って言える、強さ。




全国に、経験のある人間が増えれば、災害時、もっと強い日本になる。

何かあった時、どこからでも飛んで来る仲間。

そして、どこへでも飛んでいける自分へ。




『ボランティア』と言う言葉が無くなり
もっと身近で当たり前な『文化』になるように。

【雪山登山】死と隣り合わせのワイナポトシ6088m

 


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5800m地点まで来た。


登頂までは、残り288mだ。


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身体が言う事を聞かなくなり、足がもつれる。


左、右、左、右と当たり前に動かせない。

 


バランスも保てず、ふらつく。

 


右は、断崖絶壁の雪斜面。


運良く左に倒れ込む。

 


ガイドのラミーロは『降りるぞ』と言った。

 

 

 


私は首を横に、強く何度も振り続けた。

 

 

『いやだ!!!絶対に登頂する!!!』

その気持ちだけで胸が一杯だった。

 


自然と涙が溢れた。
悔しい。
心は全く諦めて無かった。


前向きな気持ちで、精神的にも安定していた。
なのに、身体が言う事をきかないのだ。
まるで、自分の身体じゃないみたいだった。
まだ動けるはずなのに。
歩けるはずなのに。

 

 

悔しくて悔しくて、泣けた。
でも、それでも無理だと思わなかった。

 

 

散々、降りるぞと言われ、嫌だと言い、それを繰り返し数分。
ラミーロは諦め顔で、しかし、笑顔で、動き出した。

 

 


『行くぞ』

 

 



嬉しくて嬉しくて、無理矢理にまた足を動かした。
すると、さっきよりも動けた。

 


まだ、歩ける。

 


心を落ち着かせ、自己暗示を強めた。


『大丈夫。まだ歩ける。登頂するんだ。』

 

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ラミーロは、スパルタガイドだった。

 

 
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休憩も、こちらの様子を伺う様子も少なく
最初は不安になった。

 

 

しかし、私の調子が悪くなってからは、少しずつ休憩を増やしてくれた。
そして、抱き締めてこう言った。

 


『ゆっくり、ゆっくり行こう。』

 

 


彼の隠れ持つ優しさに、私は涙した。

 


しかし、冗談混じりで休憩毎に
『降りるか?笑』
と何度も聞いてくる。

 


その度に私はNO!!と言い、それを見て彼は何度も笑っていた。
完全に面白がっていたのだが、そこに愛を感じた。


ありがとう、ラミーロ。

 

 

『今、5930mだ』

 


『今、6000mだ』

 


少しずつ、頂上に近付く。
急な雪の斜面。
転げ落ちない様に、足に神経を集中させて、歩く。

 


周りを見渡す余裕は無く、必死に自分の足元だけを見て歩いた。

 


ラミーロと私に繋がれた、“命綱”がピンと張らないよう、彼に着いていく。
ピンと張っても、彼はそれを引っ張り、私に歩け!進め!と無言で伝えるのだ。

 


歩くしかない。進むしかない。

だって、登頂したいから。

自分で決めたから。

 

 

右耳から聞こえてくる、好きなアーティストの歌声に勇気を貰う。

 

 

寒くてバッテリーの減りが速い。

 

 

登山で聞く音楽の大切さを強く感じた。

ローテンションな曲は、時に元気を奪う。

 

それ程影響を与える音楽の力は、人生でうまく使い分けるべきだと思う。

 


見えないけれど、確実にパワーを持っているもの。
そこには、歌い手のエネルギーもあって、それが自分のエネルギーにもなるんだと思う。

 

 様々な助けが力を合わせて、

そして、、、

 

 2018年の6月20日

 

ー私はワイナポトシに登頂する事ができたー

 

 
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この時の感情は、もう、ただただ嬉しかった。

嬉しくて嬉しくて、涙が止めどなく溢れた。

声をあげて泣いた。わんわん泣いてるのは、私一人だった。

 

景色が美しくて、今まで味わった事のない喜びで満たされて、

何度も「綺麗、、、」とつぶやいていた。

 

 

 

疲れなんて、一瞬で忘れられた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

持ってきた1リットルの水とアクエリアスは、氷になってしまい、飲めない状態。

 


標高が高く、酸素が薄く、息をするのがやっとの状態だ。
唾を飲むタイミングさえ、間違うと、呼吸が苦しくなる。

 


口を開けっ放しで、冷気を吸い続けた為、気管支をやられた。喉から血の味がする。

 


下山時は、両足の親指が非常に痛かった。

ハイキャンプに到着後、靴を脱ぐと、そこには水色に変色した爪が、腫れ上がって指になんとかくっついていた。

 
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(爪ははがれた。半年程で生え変わり、元に戻るらしい。膿んでたり、痛い場合は病院へ行く事をお勧めする。)

 

 


これから、ベースキャンプまで15キロの荷物を担いで、更に下山しなければならなかった。

 


通常1時間半も掛からない下山道を、3時間程かけて降りた。

 


危ない所だけ、ラミーロが荷物を持ってくれた。
肩も貸してくれた。

「大丈夫!」と言う私の先を早々と下り進んでは立ち止まり、

岩に座って私を待ってくれていた。。


どうしても、自分で荷物を持って、自分の足で降りたかった。

 


下山も含めて、登山だと思うから。

 

 


登山時とは違って見える、下山中の景色。それを見て色々考える事が、楽しい。


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同じ景色なのに、達成感と満足感で、何とも言えない感情になる。

 


靴擦れも、打撲も、死んだ爪の痛さも、

私の足の動きは遅らせたけれど、心には何の影響も無かった。

 


何も、「辛い」とか「苦しい」とか感じなかった。
思考は無に近いのに、そこには「喜び」と「感謝」しかなかった。

 

 

あたしは、やっぱり、神様はいると思う。

何度も祈ってきた。
何度も助けられた。

 

 ご先祖様であったり、家族であったり、友達であったり、見守ってくれている人達が、私の神様。

 


いつも、ついてる。
だから、大丈夫。
何かあっても、助かる。

きっと、上手くいく。

 

 

いつも、そう信じてる。

 



今回もそう。

天気や、仲間やガイドにも恵まれ、前日まで悪かった体調も不思議と良くなり、運が良かったとしか思えない。


通常、一人のガイドに対して二人の登山者が命綱を繋がれ、アタックする事が多い。
しかし、私は単独でガイドを独占できた。


もし、ペアがいたら、私のペースに巻き込んで迷惑をかけていたかもしれない。

または、ペアがリタイアを希望して、私も道連れで降りる事になっていたかもしれない。(そう言う決まりもある)

 


登頂率は、約50%らしい。

(女性だとさらに落ちるとかなんとか。20~30%と言う方も)

 


ラパスの街に戻り「登ってきたよ!」とツアーのスタッフに報告すると、

「頂上は行ってないでしょ?」と言われた。


「え、頂上行ったよ!」と言ったら非常にビックリされた。

 

 


「おめでとう」の言葉が嬉しかった。

 


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標高4700mのベースキャンプに一泊。
5200mのハイキャンプで、6時間の仮眠。
その後、6088mのワイナポトシにアタック。

 

拠点となるラパスの街3700mでさえ、坂を登ると息が切れる程空気が薄く感じる。

 

 

嘘みたいな、本当の話。
夢のような、リアルな経験。

 


終わった今、現実味は無いけれど、

足の痛みが、それを夢じゃなかったと教えてくれている気がする。

 

 

「また登りたい」

 

 

今の正直な気持ちだ。

 


下山時は、もう登ることはないだろうな、と思っていたのに、後々湧いた感情は、不思議と再チャレンジだった。

 

 

他の雪山にも登りたいし、もっと高い山にもチャレンジしたい。

 

 

精神力はさらに鍛えられ、また少しだけ、自信に繋がった。

 

 

 


しかし、これから先、何があるかわからない。

精神力ではカバーし切れない程、体力が必要な場面にも遭遇するだろう。

 


それはいつか、誰かを守る時に必要になるかもしれない。


今回の、関西の地震や、豪雨災害の様に。

 


火事場の馬鹿力。
今回はまさに、それで登った感覚。

 


家族や友達に、登頂した!と言う報告がしたかった。

達成出来なかったら出来なかったで、そこから学ぶものも沢山あっただろう。

 


達成出来ない程のチャレンジをもっとしていきたいし、そこで学んだ事をどんどん生かして成長したい。

 

 

まだまだ、発展途上人間。

 


もっと、多くの経験をしたい。
もっと、多くの感情に出逢いたい。

 

 

だから、私はまだ、旅を続ける。
そしてまた、何かに挑戦するだろう。

 


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様々な事物が人生に例えられるが、

登山もまた、まるで人生の縮図の様だと思った。

 

 

目的地が定まれば、ひたすら歩くのみ。
頑張り過ぎて無理をして、速ければ良いわけではないし、怠けて余裕ぶっていても、いけない。

 


しっかり自分のペースと、体力を知ること。

 


無理せず、歩き続けられる速さで歩く事。
無理をしたらいつか、パンクする。
そして何より、自分を信じる事が大切だ。

 

 

目的地が定まっていなければ、そこに向かって歩き出す事も不可能だ。どこを歩いているのか、どこを歩けばいいのか、分からなくなるだろう。

 

今回の目的地は、ワイナポトシの頂上。
それは、みんな同じだった。

 


ウサギとカメの童話じゃないけど、見るべきものはゴールなのだ。周りの人ではない。
誰かが速いから、同じように速くいかなきゃ。とか、誰かが遅いから、自分もゆっくりでいいや。とかではない。

 

 

自分の、夢や目標、達成したい事の為に

ゴールを見つめ、進む。

 


情報を得て賢く動く事も必要だし、体力をつけたり、体調管理も必要。

 

 

そして、挑むのだ。

 

 

 

準備に時間や力をかけすぎて、本番に挑めない間に死んだり、モチベーションが下がるのは避けたい。

 

 

何事も、熱量があるうちに、行動を起こすべきだ。

行動の原動力は、その「想い」だから。

 

自分を信じる事は、運を引き寄せる。

 

 

やはり登山は、人生そのものに感じた。
今回、自分の人生をしっかり生きようと、改めて感じさせて貰った。

 

 

自分のペースで。
着実に前に進む。
目標を持って。

 

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今回、ベースキャンプとハイキャンプが一緒だった、

イスラエル人と、ドイツ人カップル。


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イスラエルから来た彼らは元々、頂上まで行くつもりは無かった。

しかし、話をする中で乗り気になって、一緒にチャレンジする事になったのだ。

 


時に励まし合い、喜びや苦しみを共有できた仲間がいた事はとても有難かった。

 

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登山中、ガイドのラミーロには、何度も怒られた。


それほど、この登山は、命の危険も隣り合わせだと言うことだ。


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(下山中。恐ろしい程深い溝がいくつもあった)

 

 

ワイナポトシの登山シーズンは、6-8月がベストとされている。

 


観光地のベストシーズンとかあまり気にしないタイプなのだが、こればっかりはシーズンに左右されると思うので、大切だと思う。

 


コカ茶をしっかり飲んだのも良かった。

そして、今回は全員ベジタリアン食を三日間用意して貰っていたのだが、それも登山向きらしい。

 

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普通、気持ち悪くなったり、頭痛がする人が多い様だが私は一切調子が悪くならず、用意していた薬も飲まなかった。

 

おそらく、犬に嚙まれた時に標高4000mの街ポトシで一週間過ごし、高地順応がしっかり出来ていたから。

 

そう思うと犬に嚙まれた事も必然で、ラッキーだったとしか思えない。

 

 
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今回、私が登った事により、登頂したい人にアドバイス出来ることがあるとしたら。

 

・ベストシーズン、天候は大事。


・登山靴は、履きなれた物のほうが良い。レンタルするなら大きめを。


・下山前は再度、靴の紐をしっかり足首に締め直して。


・グミもガムも噛めるのは始めだけでした。


・ペットボトルの水は凍るから、水筒であったかいコカ茶がベストかも。


・登山前5日〜1週間は身体を高地順応させる為に、ラパスかポトシで過ごして。


・ご飯は腹八分目で、食べ無いのはダメ。


・常にあったかいコカ茶を適度に飲んで。


・出来たらベジタリアン食。


・睡眠はしっかりとる。登頂前夜は、18時頃に就寝して、0時に起きて登らないといけないから、その時間に寝れる身体にしておくといいかも。


・ベースキャンプからハイキャンプまでは2時間くらい、昼間に登るはずなので、薄着で大丈夫。靴下一枚、下はインナーともう一枚、上半身はTシャツと上着で十分かと。天気にもよるけど。


・ハイキャンプから頂上までは、靴下2枚、下はヒートテック、ゆるめのパンツ、防水のジャージ、上はヒートテック、Tシャツ、フリース、ダウン、防水ジャケット、あと、ネックウォーマー、顔を覆うマスク、ヘルメット、手袋二枚重ね、それでも寒かった。始めの方は動くと暑いし脱ぎたいってなるけど、上の方は極寒やし、少しずつしか動かなくなるから、まじで寒い。(あくまで私の感覚。6月末)


・カメラ持って行ってたけど、寒さで充電が無くなってた。ギリギリ数枚とれたけど、レンズも凍ってて上手く映らなかった。ので持っていく時は対策必要。落とさない様にも。


・音楽大切。音楽好きな人は、好きな曲を入れたipodなりを持っていくと良い。バッテリー減るの速い。


・ツアー会社は私はinca land tourさんにお願いし、レンタル色々込で、2泊3日900ボリでした。
私は登山用品持ってなかったので、レンタルに関して融通きかしてくれたのと、スタッフさんのフレンドリーさが好印象で、ここに決めた。ガイドは運だから、ガイドで決めたい人はネットで調べて連絡を。


・必要だと思う人は、薬とか酸素ボンベ持っていくと良いかと。


・高所恐怖症でも、登れました。


・喘息持ちで、過呼吸もたまになるタイプですが、気管支が傷ついた位で済んだ。出来たら鼻で吸って口で吐いてって息した方がいいけど、鼻水とまらないから厳しい。


・女性は、ノーブラ登山をすすめます。ストレスフリー大切。


・念の為おむつ履いてたけど、寒い割に尿意がなく、下山まで間に合いました。私はね!笑


・鼻水ふくティッシュがあると良い。


・貴重品は信頼できる宿の金庫に預けても良かったかも。


・国立公園入園料20ぼり必要。


・ペアいないほうがいい人は単独依頼した方が。割高なるけど。私のように依頼せずともペアがいないラッキーな場合も。


・下山中のお菓子が美味いetc...

 

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夜中の1時過ぎに登り始めて、6時半くらいに登頂。

 


5時間20分。
朝日が登ったのは7時頃だった。
朝日が登る前に登頂しなければ、太陽の熱により、雪が溶けてしまい危険なので、登らせて貰えなくなる。


ガイドのハイペースにも意味があった。


当たり前だが、命の危機と隣合わせで働いているのだ。


仕事とは言え、登山初心者などを連れてあの山に何度も登っているガイドのすごさを改めて感じた。

 


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 (ガイドのラミーロ。本当にありがとう。今回は爪負傷の為、一緒に飲みに行かなかったので、次回は思いっきりご馳走する予定。)

 

 

 

一生忘れられない経験になった。

一生忘れたくない経験になった。

 

 

頂上は、今まで見たどんな景色よりも美しく見えた。

 

 

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雪山登山を経験して感じた事を、翌日感じたまま文章に綴りました。

長いですが、あえて添削せずにそのままの形で残します。

これが、私の感じたありのまま。

 

長い文章を読んでくださった方、ありがとうございます。

いつか誰かの参考になれば、幸いです。

 

 

【世界一周】旅の総額ぶっちゃけいくら?

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初めて海外に行ったのは、2012年、23歳の冬。



当時働いていた会社の連休を利用しての、短期旅行だ。


行き先は、グアム。



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ここで、軽めのカルチャーショックを受け、海外に興味を持つ。


『世界一周したい!!!』


兄がバックパッカーだった影響もあってか、いつの間にか高校生から思い描いていたその夢は、現実味を帯び、その興味と関心は日に日に膨らんだ。



その3ヶ月後には、会社の長期休暇を利用させて貰い、オランダとスペインを一人で旅行。



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(花が好きだから、オランダ行ってみたい!と言う単純な理由で行き先を決めた。スペインはHISの店員さんの勧めで)



感動した。もっと、世界を見たいと思った。


ここで完全にストッパーが外れ、帰国後すぐに辞表を提出した。


2年程前から、自分の心のどこかで渦巻いていた、もやもやとした感情ーこのままこの会社でずっと働くのか?ーは、行動する事で確信となり、さらなる行動に繋がったのだ。



多くの方に、心配と迷惑を掛けながらも、旅に出る決意を示した。



それから6年。
旅の世界にどっぷりハマり、海外に行っては日本に帰ってを繰り返す、今のライフスタイルとなった訳だが、




ここでよく聞かれる質問に答えたいと思う。





「世界一周って、どんくらい(の金額)で行けるの?」





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・・・ずばり!!!




100万円(弱)でした。
(私の場合)




9ヶ月間、32ヶ国、100万円。
※2013-14年


▶ルート
アジア(2ヶ月)〜中東(1ヶ月)〜ヨーロッパ(2ヶ月)〜アフリカ(4ヶ月)


【実際のルート詳細▶日本✈️マレーシア🚊タイ、カンボジアベトナム✈️タイ、ラオス、タイ✈️インド✈️UAEオマーンUAE✈️アルメニアジョージア、トルコ、ブルガリア✈️スペイン、ポルトガル、スペイン、フランス、ドイツ、オーストリアハンガリーポーランド✈️フィンランド🚢スウェーデンノルウェー✈️クロアチア、イタリア✈️エジプト✈️モロッコ西サハラ🚗モーリタニアセネガルガンビアセネガル、マリ、ブルキナファソ、ガーナ✈️日本】
(※実質、世界一周していない。アフリカが楽しすぎて、南米に渡るのをやめた。)



飛行機に乗った回数は、11回
LCC(格安航空券)を利用したので、飛行機に使った費用は25万前後。



残りの75万÷9ヶ月=8.3万円




生活費は、月平均、約8万円。
※宿代、移動費、食費、観光費、保険代も含む
(飛行機を含めても、月11万円)




『え?!安くない?ヨーロッパも行ったのに!』




そう。安いのだ。
と言うよりは、安く出来るのだ。
海外での生活と言うのは、日本での生活よりも、コストを抑えられる事が多いと思う。


ほとんどの国で、1泊1000円以下の宿に泊まった。決して、汚い暗い宿だけでは無い。



インドは月3万円で過ごした。
東南アジアは、生活コストが非常に低い。移動費も、『え、まじで?』と言いたくなる程、日本と比べると非常に安い。



たまに、勘違いされる。




『それだけ海外行って、よくお金あるよね、、貯金何千万あるの?』

パトロンでもいるの?』

ネットワークビジネスでもしてるの?』


 
・・・。笑



旅を始めるまで私も知らなかったが、今は、めっちゃ贅沢な暮らし(いいホテル、いいレストラン、いい飛行機など)を求めなければ、低コストで長期間、海外を楽しめる時代なのだ。



そしてそれは、好奇心旺盛な私にとって、とても贅沢で、幸せな環境なのだ。



日本人のパスポートは優秀だ。
(しかし所有率は4人に1人の25%)



VISA無しで行ける国は、約180ヶ国もあり、
日本円の価値も、下がっているとは言え、世界的に見るとまだまだ高い方だ。



外に出て初めて気付く、日本の良さや有り難みは、数え切れない程あった。



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(昔)旅を始めた頃は、一つの国の滞在が短くても、多くの国を見てみたかった。

(今)一つの国を、ゆっくりじっくり見たい気持ちが強い。



(昔)なるべくお金を使わない工夫をして、旅していた。(それが新鮮で、面白かった)

(今)お金の有益な使い方や、必要な贅沢も覚え、旅の楽しみ方の多様性を感じる様になった。



(昔)知らない世界を、経験を通して吸収する事や、自分の心を裸にする事が大切だった。

(今)吸収した事をどうやって発信するか、自分に出来る事は何かを考える事が大切になった。



この6年で、旅に関してだけでも、様々な変化がある。



人生とは面白い。 

どんな人の人生も、変化していく。


それは、それぞれの方向へ。

それぞれの、速さや大きさで。

それぞれ、心に従うまま。



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ー100万円、自由に使えたら、何したい?ー



こんな『もしも』話が、会話の話題になった事は、ないだろうか。



高校生の頃は、100万円が、手の届かない大金だと感じていた。



社会人になって、貯金額が100万円を超えた時は、興奮したのを覚えている。



今、貴方の手元に、100万円があったら、貴方は何が欲しいですか?



『カメラの機材を買いたい』


『家族に旅行をプレゼントしたい』


『将来の為に、貯金に回す』


『旅に行きたい』etc...



色んな答えがあると思う。



人生においてのお金の価値や、使い道は、人それぞれだ。





働く事(お金を得る事)に必死な間には見えない物が、時間(お金)を手に入れると見えて来る事もあるだろう。




私は、高校を卒業し、就職をする道を選んだ。



大学に行く理由は、私には無かった。



勉強は、嫌い。
時間に厳しく、規則や洗脳かとも思える常識で縛る、学校(集団生活)は、得意では無かった。
唯一の救いは友達。とは言え、感受性が高く、ネガティブな性格故、悩みや衝突も多い方だった。
(遅刻と保健室、常習犯)



そして、不自由はしなかったけれど、裕福では無い家庭で育った事もあり、少しでも早く社会経験を積んで自立し、家計を支援したい気持ちが強かった。



18歳で、某アパレル企業に最年少で入社し、最年少で店長に昇格。


全国転勤が多い、ベンチャー企業
一人暮らし、店舗運営、商品管理、販売促進、人材育成、初めて尽くしだった。
5年と4ヶ月、夢中で働いた。



毎月5万円を家に入れ、5万円は貯金した。その残りで生活する事に、不満は無かった。


運良く、接客業は天職だったらしく、仕事が楽しく充実していたのだ。(休みがあまり取れなかったので、お金を使う時間も無かった)



『やりたいことが出来た時の為に、貯金しておこう。そして、いつか出来るであろう、自分の家族(旦那や子供)を支える為にも、経営者になるんだ』




そんな目標もあり、必死に働いた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ー「お金」の正体って、何だろう?ー



ある人は「正義」と言う。
ある人は「」だと言う。



ある人は「信用」だと言い
ある人は「時間」と言った。




捉え方は、その人次第。




私は、お金は「」だと思っている。



働くと言う事は、愛が無ければ出来ない事だと。



私は、家族と、自分の為に働いた。
お客様、会社にも貢献したいと、働いた。
振り返ってみると、そこには愛があった。



働く事は、愛する事。



私はそう思った。



会社をやめたい、そう思った時。
もう、そこには愛が無くなっていたのだろう。(もしくは熱量が減った)
そして、違う場所に愛を求め出していたのだ。
(愛とは興味、関心でもあると思う)




あなたの愛はなんですか?




自分の愛の方向や対象を知り仕事をする事が、やりがいに繋がるのかもしれない。





『旅に行きたい。旅に行って、強くなって、お世話になった家族や友達をもっと幸せに出来る自分になりたい』




私のその時の行動には、何かを達成する為の、自分ないし相手への『愛』があった。


言い方を変えると、愛=行動。
愛には行動が伴うと思っている。




『何の為に、働いてるんだろう?』



ー愛する家族を養う為ー

ー誰かの夢を叶える為ー

ー自分の夢を叶える為ー

ー何か欲しい物を買う為ー

ー生きる為ー





事情、環境、それぞれ、色々あると思う。



でも、一度きりの人生。
その中の大切な時間を使って働くと言うこと。





働く事も、人生の一部であり
大切な時間。楽しんでもいいはず。





私の言ってる事は、甘く、ぬるい考えだと思う人もいるかもしれない。
浮かれてんな、地に足つけろ、と言われるかもしれない。
私が言ってるのは、理想論や綺麗事かもしれない。




でも、私は、働いて得たお金は、自分に投資された大切な物だと思っている。接客業だからかもしれないが、その人が働いた時間で得たお金を使ってくれていると思うと、有益に使いたいと思う。



そして、そのお金を使って、旅に出る経験をして本当に良かったと思っている。


自分をよく知れたし、素敵な出会いがたくさんあって、世界を見る事で人生の選択肢も増えた。
この経験が誰かの役に立つ時も、あると思う。



そして、改めて、時間の使い方、お金の使い方、働き方を見直せた。



残された時間もお金も、愛する人の為に使いたいと思った。




限りある人生。



死んだら、何も持っていけない





何の為に働いて、働いた時間を、何の為に使うか。
どんなライフスタイルで生きていくか。
自分のやりたい事の中で、役立つ事、人の為になる事、やれる事は何か。





まだ、30歳。

何歳になっても、今この一瞬が一番若い。




しっかり見据えて、行動して行こうと思う。



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【狂犬病】命の危機に晒された一人旅女子

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右腕が、ジンジンする。


昨日と、一昨日は、左肩に注射を打って貰ったのだが、腕の重みと痛みが不快で、今日は右肩に打ってもらう事にした。


『明日は、どっちに打って貰おう。』


なんて考えながら、昨日散歩しながら見つけた、サウナに向かった。


時折、頭が重く、痛む。
高山病の症状だろうか。


ボリビアの、ポトシは、標高4000メートル。


世界一、標高の高い場所にある街だ。


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世界遺産のセロリコ鉱山が、街から一望出来る)


富士山より高い場所での生活は、私にとっては、気軽では無い。


日本は梅雨入りした頃だろう。

南米は、冬真っ只中で、標高の高いこの街は、特に寒い。


泊まっている宿のドミトリー(相部屋)には、体調が悪そうな旅人がちらほら。


私は、サウナで温まり、少しでも免疫力を上げたかった。


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道端で寝ている犬に、注意を払う。

近寄って来る犬に対して、敏感に反応してしまう。



初めて海外に出てから今まで、海外の犬に対して、恐怖を感じる事など、ほとんど無かったのに。


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5月に入ってすぐ、ある昼間の出来事だった。


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(山の麓で、ゴミ山を漁る豚)


世界遺産のセロリコ鉱山。

この鉱山は、奴隷による激しい労働が問題になった歴史もあり、多くの犠牲者が出ている。(推定約800万人)


その山の近くまで来ると、隣の山の頂上に、十字架が見える。


山から降りてくる人々に声を掛けると、「20分で登れるよ」と言われた。

私は、その山を登り始めた。



登っている途中、採掘の為に作業をしている鉱夫を数人、見かけた。


彼らは私に、陽気に声を掛けた。
そこでは、女性も働いていた。


私は、作業の見学や、手伝いをさせて貰った。


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穴の奥は、アリの巣の様に右往左往に広がっていて、外の気温より少しあたたかかった。


岩を削ったり、運ぶ時に出る、砂埃が目に入る。
時には吸い込み、むせてしまう。
中々、劣悪な環境だ。


作業服を着て、ヘルメットとライトを頭に装着し、長靴を履いて、手袋をして作業をするのが、通常。


しかし、私に声を掛けてくれた優しいお父さんは、素手で作業をしていた。



「手袋は嫌いなんだよ」




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「美しいだろう」


そう言って、採れた石を渡された。
お父さんの目はキラキラしていた。


危険な現場を少しだが体験し、心配する私の気持ちとは裏腹に、彼らは仕事に誇りを持っていた。


暗い過去も、多くの犠牲者も、
彼らにとっては忘れられない事のはず。
しかし、それを超える程の何かが、
この仕事を続けさせるのだろう。




とても親切にしてくれた、作業員の方々に御礼を言い、その場を立ち去ろうとすると。


「モネダ」


お金を求められた。


海外ではよくある事だ。
仲良くなった(と感じた)分、少し、残念な気持ちはするのだが、貴重な体験をさせて貰った御礼はしたい。


大きな金額のお札と、小銭しか持っていなかったので、小銭をありったけ渡した。


ハグをして、笑顔でお別れだ。



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登山の途中だったので、さて、頂上へ行こうと見上げたのだが、どうも、そこまでの道が見当たらない。



危険な道しか無さそうだったので、私は登山を諦め、さっき車が通っていた道を戻り、下ろうと歩き出した。



その時だ。


「ワンワン!!!ワンワン!!!」


犬が私に吠えた。


そんな事はよくあったし、吠える犬ほど、近付いて来なかったりする事が多かったので、油断していた。



10メートル程先の右側には、5.6匹の野良犬。



吠えては来るが、道は一本しか無いので、進むしかない。



なるべく左に寄って歩く。




「ワンワンワンワン!ワンワン!」




ー気付いたら、2匹の野良犬が傍にいて、私の右腕と右足を咬んでいたー



本当に、気付いた時には咬まれていた。



ー記憶が飛んでいるー




ショックで、何が起きたのか、一瞬分からなかった。



倒れ、叫ぶ私の声を聞いて、おばさんが、犬を追い払いに来てくれた。



おばさんは、犬に、石を投げて追い払った後、すぐに去り、遠くから私を見ていた。
(このおばさんがいなかったら、どうなっていたのだろう、、本当に感謝だ)


動こうとするも、
足がすくんで、動けない。



見ると、ズボンは破けている。
しっかりと犬の歯が足に、食い込んだ跡があり、血が出ていた。




早く、病院行かなきゃ、、。



気合いで立ち、歩き進めるが、更に前には、別の犬が立ちはだかる。


ー恐怖だー


道を逸れ、岩場を滑り降りた。


通りすがりの車に、止まって欲しい事を手を振り伝える。


すぐに、病院に連れて行ってくれた。
ホッとして、涙が溢れた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




スペイン語圏に入ったのは、10月の半ば。キューバからだ。


それから、メキシコを旅して、11月末に一時帰国。


2月頭から、南米に入った訳だが、少しはスペイン語に慣れていた時で、良かった。


必要最低限の単語や、よく使う文法くらいしか話せなかったが、ある程度会話として成り立つ時もあった。



「旅に言語は関係ない。英語が話せなくても旅をしてる人は沢山いる」



事実、そうだった。


私も、コミュニケーションは、言葉だけじゃない。笑顔、ジェスチャー、絵、どうにでも伝えられると思っていた。



しかし、現地の言葉を知れば、旅はさらに楽しくなる。



そして、トラブルや事故に遭った時、少しでも現地の言葉を話せた方がいいのは、明確だ。






私はこの時、言語の大切さを改めて感じた。




犬に、咬まれた事。
いつ咬まれたのか。
どこで咬まれたのか。
私は果たして、大丈夫なのか?



少しでも、聞き取り、伝えられた事により、きちんと処置されたのだと思うと、安心出来た。


もし、スペイン語がさっぱりわからなかったら、どんな処置をされていたのかと思うと、恐ろしい。


幸い、ボリビアは、狂犬病の対策に、力を入れている国だ。
そして、ワクチンが常備された街での出来事だった。ツイてる。
(とは言え、日本の高い医療水準に慣れている私は、ボリビアの医療に不安感があったのは否めない)



一軒目の病院では消毒のみ。
そこで紹介された病院に移動したが、そこにはワクチンが無かった。
その次に行った保健所らしき場所で、やっと注射を打って貰えた。



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注射器は、薬局で自分で買った。
一緒に、化膿止めも購入した方が良いとの事。



注射器は、10本で150円。
化膿止めは、10日分で600円だった。

安いと感じると思う。
しかし、もしこれが物価の高い国だったらー。


保険の大切さも、改めてひしひしと感じる。
(今までも、想定外の事が起きて病院に行く事はよくあった)

ボリビアでは、犬に、飼い主がいる事が明確な場合、治療費は飼い主負担の様です。

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(現在、毎日打って貰っている、ワクチン)



命はお金で、取り戻せない。



同じ様に、旅をしていて亡くなった方々の事や、海外で犬に咬まれ、日本で狂犬病を発症し亡くなった方々の事を考えていた。


実際、犬に咬まれた旅仲間もいるし、
犬に、追いかけられた友達の話も聞いた事がある。


それは、身近なはずだった。


しかし、どこかで他人事と思っていたのだろう。

犬に咬まれるなんて、滅多に無いだろう。
そう思っていた。


まさか、自分が、狂犬病によって、命の危機に晒されるとは、思っていなかった。


想像力には限界がある。


自分の身に命の危険が降りかからなければ、命の大切さは、きちんと実感出来ないのかもしれない。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



注射を、あと4日連続でワクチンを打って貰ったら、移動する予定だ。



咬まれてから連続で7日と、10日後、20日後、30日後と、帰国してからも注射を打たなければならない。

ポトシの場合。他の国では違う事もある。私が狂犬病の予防接種を受けたのは5年前)



しかし、何度注射を打とうが、痛かろうが、命には替えられない。




死は必然で、そこには必ず、意味や、遺された人々へのメッセージが内包されていると思っている。(そう思わなければ、乗り越えられない)


悲しいが、悔しいが、前を向くしかない。日常に、戻るしかない。


いくら嘆いても、
命は、還ってこない。




だから、やっぱり、悔いの無い日々を送ろうと、強く思った。




まだ、死ねない。





注射を打ちに行かなければ、狂犬病を発症して、死んでいたかもしれない。

(咬んだ犬が狂犬病かどうかは分からないが、突然、訳もなく咬む犬は可能性が高いようだ。そして、狂犬病は発症すると100%助からない。最も致死率が高い病気として、エイズと共にギネス記録にもなっている)



私はまだ、遣り残した事が沢山ある事に気付いた。






「死ぬかもしれない。死にたくない。」




腕の痛みが、足の痛みが、それを感じさせてくれた。


人はいつも、死と隣り合わせだ。
それはいつ来るか、分からない。
ただ、普段、平和な時は気付かない。
当たり前だと感じるからだ。




死を意識した時に、「生きたい」と言う欲が出て、何かをしたいと行動する。




死の持つパワーは凄まじい。



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「人を喰う山」



そう呼ばれる山の麓にいた事を、後から知った。




私が助かった日に、日本でも、世界でも、亡くなった方々が大勢いる。



旅をしていて、いくらでも、危険なシチュエーションはあったが、私はこうしてまだ生きていられる。



自分の人生に意味を持つ為に、必然的な出来事が、人生では度々起こる。



今回の出来事に、ネガティブな感情は、全く無い。
咬まれて良かったと思えるのは、この経験が、役立つ時が来ると信じてるから。



まだまだ、人生の仕事が、終わっていない。



「大丈夫よ」



看護師さんの言葉は、安心をくれた。






さて、今日は何をして、生きよう。






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(咬まれて2日。痛みも引いてきた)

※大袈裟なタイトルで、心配させた方すみません。私は元気です。狂犬病は犬以外に、キツネや猫やハムスター、リスなど、哺乳類同士で感染します。海外に行く際は、気を付けて下さい。予防接種も、保険も、とても大切です。


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【世界一周】5年前の自分に伝えたい事


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ー6月1日ー

それは、私にとって、忘れられない記念日になった。

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5年前、2013年の6月1日。
24歳の私は一人、飛行機に乗ってマレーシアへ降り立った。


お気に入りの花柄のキャップと、新調したグレーのパーカー、着回しに便利なショートパンツを身に着けて。


片手には、白くて大きなキャリーバッグを転がして、黒くて小さなボディバッグを、身体にしっかり密着させる様に、肩に掛けて。




飛行機は早朝に到着。
空港を出たのは、間もなく朝日が昇る時間だ。



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胸が高鳴る。

口元が緩み、勝手に口角が上がる。


『これだ。この感じ・・・。』


何かが待ってる。
不思議と、そんな確信があった。


そして私は、歩いた事もないマレーシアの地を、一人当ても無く歩いた。



そう、その日は


世界一周旅行の、始まりの日



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『旅に出た、キッカケ(理由)は?』


バックパッカー旅行なんかをしていると、よく聞かれる質問だ。


世間では、“ちょっと変な人達”なのだろう。


日本で普通に(“普通”なんか本当は無いけれど、多数派の考えを元に)生きて居たら、バックパッカー旅行に、行く人の方が少ないから。



その質問に対して私は、詳細に答える事はほとんど無かったと思う。


その理由は、人に簡潔に説明出来る程、話す技術が無かった事が一つ。
(よほど時間があり、相手がその答えを本当に知りたいと思ってくれていない限りは、聞いてる方は疲れたり、飽きるだろう。)



そして、なかなか、他人に理解して貰い難い理由で、旅に出たからだ。


なので、私はいつも


『世界一周したら、自分に自信が付くかなと思って』

『結婚して子供を産んだら、一人旅行なんて中々行けなくなるだろうから。』

『色んな世界を見て、知って、したこと無い事を経験したかったから。』



等と、答えていたと思う。


もちろん、嘘では無い。
むしろ、本当の事ばかりだ。



しかし、私はそんなに強く無かった。


今だから思う事が山程ある。



ー私は、旅に命を救われたー



大袈裟かもしれないが、本当の事なのだ。
※この話もまた、いつか文章にしたい。




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私は、自分の事が嫌いで、自信が無く、とても弱かった。


そんな自分が受け入れられず、強がっては、自分の中の理想=“完璧”を目指そうとしていた。




ー完璧なんて、なれる訳ないのにー





その頃の私にとって、人に頼る事も、甘える事も、逃げだった。
(よく甘えては、助けられていたが)


『逃げない、負けない、甘えない!』


当時の自分のスローガンだ。
(仕事に対して、の部分が大きいが)



アホか」と昔の自分に言ってあげたい。



人の助け無しでは生きて行けないのに。

沢山の人のお陰で、生きてるのに。


一人で抱え込まなくていい。辛い時は、誰かに甘えてもいいし、頼っていいし、自分に負けてもいいのだ。



もちろん、時には逃げる事だって、悪い事ではないのだ。



そう、今思うと、あの時に私が旅に出たのは、日本社会からの「逃げ」だったのかもしれない。



そして、それは、人生への「挑戦」でもあった。


私は、自分に賭けてみたのだ。



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2013年の6月1日から、2014年の2月17日まで、アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカと、旅をした。



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白くて大きなキャリーバッグは、インドの悪路が原因で壊れてしまった。


私は街歩き用で持っていたリュックサックに、必要最低限の荷物を詰めて持ち歩いた。
(入り切らない物は、人にあげたり、捨てたりした)


そこで、


生きていく為に必要なものは、そんなに多くない事

を、知った。





そして、バックパッカーならぬ、リュックサッカーと言われる私の“軽量バックパッカースタイル”が生まれた。
(今も荷物の量は、基本的に10kg以下)


そして、見た目にも変化があった。

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体重は10kg程増え、日焼けをして黒くなり、化粧もあまりし無くなった。
(顔つきも変わったと言われる。)



以前の私なら、そんな自分は受け入れられ無かっただろう。



旅に出る前の私の見た目は、今と異なる。友達とクラブやバーでオールして遊ぶ事(朝まで遊ぶ事)も好んでしていた。

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外見ばかり気にして、少しでも可愛く見せたかった。
(もちろん、それで自信を持つ事は、とても大切で、素敵な事だ)


しかし、実際は、鏡の中の自分でさえ、好きになる事が出来ない。




とてもじゃないけど、私はありのままの自分には、自信を持てなかった。




繕って誰かに愛されて、他己評価が上がった所で、自己評価が上がらないと、本当の意味で満たされる事は無い。




そう、自信とは、心の問題だった。




(例え、整形して、“石原さとみ”になったとしても、おそらく私は自信が無いままだっただろう)




決して、自信が無ければ生きていけない訳ではないが、私が憧れる人は、自分を愛していて、自信を持っている人が多かった。




理想ばかりを追い求め、“自分じゃない自分”になるのは、中々難しい。




人は、心を丸裸にして初めて、ありのままの自分を愛せるのだ。





唯一の救いは、家族や友達が私を理解してくれていた事。



弱さも、強がりも全て知ってくれていた。


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(出発の日、サプライズで見送りに来てくれた友達)


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(車で関空まで送ってくれた友達)




今思うと、あの日々も楽しかったし、大切な財産であり、そんな私も私なのだが、“本質”は、また違ったのだ。



ー旅でどんどん変化する自分ー



それは、本当は、変化では無かった。


環境に影響され、社会に揉まれ、変化してしまった自分が、元に戻っただけだった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ーあの日から、5年ー


私は、多くの大切なものと、気付きを得た。



・世界中の人々との出逢いや、繋がり。

・同じ志を持つ仲間や、新たな夢。

・新しい知識、新しい経験。

・美しい景色を見て、生まれた感情。

・悲しい現実を知って、生まれた感情。

・行動したと言う、実績。

・旅をして大きく変化した未来(現在)。


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(アフリカが大好きになりました)


そして、心から実感した事。


帰る場所があるから、安心して旅が出来ているのだ。





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(大好きな、モロッコの家族)


人々は、いつも、「飾らない私」でも愛してくれた。ありのままを、受け入れてくれた。


※もちろん、全ての人では無いが、飾らない私を愛してくれる人が、自分の人生で大切にすべき人だと言う事を知った





ーただ一人、自分だけが、飾らない自分を愛してなかっただけなのだー





本当に、旅に出て良かった。と、心から思う。





失った物は、一つだけ。


ー自分じゃない自分ー


そして、旅を通して


ー私は、「自分の本質」を手に入れたー



それは、元々そこに在ったもの。


それを、否定して、蓋をして、隠していた自分を、私は捨てたのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




自分って何者なんだろう?

何の為に産まれてきたんだろう?


分からなかった。

ただ、ずっと探してはいた。


旅に出て、色んな答えを知った


一人になる時間が増えて、人に合わせたり、人の目を気にするのをやめた。


そして、自分の好きなものや嫌いなもの、価値観、ペース、目指すべきビジョンを知った。


まだまだ100%自信がありますとは言えないが、前よりは自分の事が好きになった。


今、私は本当に“自分らしく”生きる事が出来ている。


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(本当に、皆さんのお陰です)




だから、私は5年前の自分に言いたい。




「旅に出てくれて、ありがとう」




ーーー6月1日は、私の大切な記念日。ーーー


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(お陰様で、come back出来ました)



※長い記事ですが、読んでくれて、ありがとうございます。



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【海外協力隊】キッカケは、作れる


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皆が笑顔で、楽しそうに絵を描いている姿に、心の底から喜びを感じた

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2018年5月のある日。


パラグアイのビジャリカと言う町で、私は「世界を知る授業」をさせて貰った。



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私がフリーハンドで描いた世界地図に、皆の描いた各国の象徴の絵が貼られて行く。



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この時の感情を忘れたくないので、書き留める事にする。


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事の発端は、ある女性との出会い。



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美人でスタイルが良く、小柄の彼女の名前は、「なつき」。(以下、なっちゃん


なっちゃんは、青年海外協力隊の一員として、今年の1月にパラグアイに派遣されたばかりだった。


青年海外協力隊とは、国(日本)が、途上国の発展の援助をする為に海外ボランティア(人)を途上国に派遣する制度だ。


私もあまり詳しくは知らなかったので、興味が湧いて、活動について様々な質問をしてみた。


が、協力隊の活動は、こう!とは言えない位、多くの分野があり、人によっても、国や地区によっても、本当に「それぞれ」らしい。



なっちゃんがやっているのは、簡単に言うと“経営コンサルタント”だ。
(起業家支援をしている、NGOの活動)


それがまた、すごい。


彼女は、やった事もない事を、人脈も無く、コネも無いこの場所で、一人で始めたのだ。




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0から、自分で繋がりを作る。


困っている人はいないか、助けを求めてる人はいないか、自分に出来ることは無いか、必死で考え行動した最初の3ヶ月は、すごく大変だったと話していた。


孤独もあっただろうし、悔しみも沢山あっただろう。
私には到底、分からない辛さもあっただろう。



パラグアイの人々に、生きる力を。考える力を。



話していると、彼女はいつも、パラグアイの人々の為に、一生懸命だと言う事が伝わる。


辛い事も前向きに捉え、努力を止める事なく、ひたすら前進し続けている。


彼女の情熱に、胸を打たれた。



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通常の活動の他に、毎週木曜日は「日本語教室」を開いている、なっちゃん
なっちゃんスペイン語ペラペラ



生徒は、約40人。


しかし、もっと多くの人が日本語を学びたいと思っているらしい。


旅をしていると、いかに日本と言う国(小さな島国にも関わらず)が他国から尊敬されていたり、愛されているのかを知る。
(アニメ、歴史、文化の影響が強い)






なっちゃんと出会ったのは、授業を行う2週間程前の事。


会話の中で、私は彼女の活動する町を訪ねる約束をした。


そして彼女は、絵を描きながら世界を旅する私と、何か出来ないか?と考えていたらしい。



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前日に打ち合わせ。
様々な案が出た中、「世界地図に、生徒が描いた各国の絵を貼る」事になったのだった。



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私は今、世界のゲストハウスに、壁画などのアートを描かせて貰いながら、旅をしている。



時々、宿泊客と一緒に絵を描く事もあったが、人前で“絵に関する授業”をした事は無かった。
(今回、具体的に絵の描き方を教えた訳では無いが、不特定多数に、絵を描く機会を作った事がない、と言う意味で。)



絵を描く事は、趣味。


そう言いながらも、心のどこかで“私のこの趣味で、もっと面白い事や、誰かの為になる事を出来ないかな?”と、考えていたんだと思う。


なっちゃんから話を貰った時は、嬉しかったしワクワクした。



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「はい!じゃあ今から30分で、その国を象徴する絵を描いてください!」


なっちゃんが言うと同時に、生徒の手が動き出す。


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自分に割り当てられた「国」をイメージして、「絵」にする。


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「皆、描けるかなぁ?」


と、心配していたなっちゃんもビックリ。
なっちゃんは絵を描く事が大嫌い。笑


皆は、楽しそうに、そして一生懸命描いていた。



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次々に、絵が貼られ、世界地図が完成して行く。




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ーひとつひとつが、可愛いー



たまらなく、愛おしかった。


建物や遺跡の絵を描く人。
動物や人の絵を描く人。
民族衣装や伝統的な楽器を描く人。
国旗や、著名人を描く人。


個性が溢れた。
自由な白いキャンバスが、彩られて行く。




日本でも出来ないかな?幼稚園や小学校で、需要無いかな?


私は、そんな事を考えていた。


『“世界”にはこんなに沢山の知らない“国”があるんだ!』


“絵”にする為に、調べて、“知る”。


もし、“興味”が湧いたら、彼らはいつか、“旅”に出るかもしれない。



そんな事を考えると、ワクワクして、楽しくなった。


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他人を、変える事は出来ない。


人間は、それぞれ“心”があって、“頭”がある。

何かを強制するのは、双方に不健康だ。


私が出来るのは、“キッカケ”を作る事


人生が変わるキッカケも
自分を変えるキッカケも
出逢いのキッカケも
時には別れのキッカケも


幸せになるキッカケは、何処にでもある。



そしてそれは、作る事が出来る。



それがその人の“幸せ”に繋がるかは、やってみないと分からないし(行動)その人次第(思考)なのだ。





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※左・終わり際に到着した、バックパッカーの友人



今回、なっちゃんの提案により、やらせて頂いた授業を通して、彼女の活動を知って、感じた事は、私の人生の素敵な“キッカケ”になった。



出逢った瞬間は分からなかったけれど。

出逢った事には、意味があった。

それは、行動したから分かった事。



そして、出逢うキッカケをくれたのは、「民宿小林」さんだ。


あの場所が無かったら、私達は出逢っていないと思うと、不思議な感覚に陥る。


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※左・このブログに掲載した写真を撮ってくれた、映像作家のトシさん。素敵な写真をありがとうございます。



そして最後に、彼女はもう一つ私に幸せをくれました。



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帰り際に、突然渡された、パラグアイの伝統的な手工芸品「アオポイ」。


しかも、「CHIHIRO」と名前の刺繍入り。


来てくれたら、おもてなししたいなって、来る前から考えてたんです


彼女のホスピタリティには、完敗だ。


いつでも、人の為にと考えて動ける彼女は、町の人々にも愛されている様子だった。


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協力隊の活動期間は、2年。
残り1年と、約7ヶ月後には、ビジャリカは今よりも発展していると思う。



なっちゃんの愛ある行動が、実を結ぶ事を、心から願ってます。




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【屠殺】鶏をこの手で絞めた日ー後編ー

※事実をきちんと伝える為、生々しい表現があります。苦手な方は読まない方が良いです。


【屠殺して、湧いた感情】


お父さんと2人、小屋に放された鶏を、捕まえようと追いかけ回す。



ーころされるー


とでも思っているのか、2羽は必死に逃げ回る。


ついに捕まえ、あたたかい鶏の温度と羽根と肉の感触が、素手に伝わる。


両足を掴み、逆さにして外に出る。
と、途端にお父さんが鶏の首を捻り始めた。



「えっ?!」




驚きを隠せない私。

何度か首を捻られ、苦しみ藻掻く鶏は、芝生の上に投げられた。


「やってみろ!」


と、言われた訳では無いが、焦燥感にかられ、鶏の両足を股に挟み、首を掴む。


もう、悩んでる暇は無かった。



「ごめんなさい、、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!」



心の底から溢れる感情を、私は何度も何度も叫んでしまった。


ーそんなに謝るのなら、やらなければいいだろうー


鶏は、そう思ったに違いない。
湧いた感情の相殺の為だろうか。


「ごめんなさい」


その言葉は虚しくも、想いが込もった、意味のない言葉でしかなかった。


上手く捻られず、なかなか死なない。
しかし、お父さんの鶏よりも、私の鶏は、大人しかった。


ーまるで、私の気持ちを察しているかのようにー


お父さんの指導の下、首を引っ張り、さらに血管を千切った。


鳴き声は、どんどん小さくなる。



あっという間過ぎて、恐怖心は何処かへ行ったようだった。
無意識の、興奮状態だった。
私の覚悟は冷静さを持ち合わせていなく、感覚と記憶力を鈍らせた。


「苦しまないで。
早く、鳴きやんで。」


自分が奪った命に対して、
なんて残酷な感情だろう。と思った。

私は、極悪人になったみたいだった。



沸かしておいたお湯に、逆さにした鶏を頭から入れて、毛穴を開く。


そして、羽根を毟った。


想像以上に、羽根は毟り易く、鶏は、どんどん鶏肉になって行く。


そして不思議な事に、私の罪悪感は薄れていく。



麻痺していたんだろうか。
自分が、怖く感じた。


さっきまで「鶏」だった。
さっきまで「生きて」いた。


今ではまるで、スーパーに並べられた「鶏肉」だ。


普段、鶏肉を見ると「美味しそうだな」と思う人が多いだろう。
店に並ぶ鶏肉を見て、「可哀想」とも「ごめん」とも思う人は、あまり居ないだろう。
ベジタリアンや、ヴィーガンの人はとても思うだろう)



そう、羽根をもげばもぐ程、それは「美味しそうな鶏肉」になって行った。



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これは、私の素直な正直な感想だ。
悲しくも、私は“命”をまだよく知らない、現代を生きる人間だった。
それを、思い知らされた。


頭が、おかしいと思われるかもしれないし、私が屠殺をした事を、引く人もいると思う。

しかし事実、普段何気なく肉を食べて暮らしていて、その裏側には、多くの闇があるのだ。


劣悪な環境での飼育。時に、訳もなくころされる命。ヒヨコの時点でころされる事もある。

食べる事や売る事がが目的で命を生産する事は、本当に必要だろうか?

生きたまま鶏を熱湯につける。豚をスタンガンでころしながら蹴る。等、、、

ころし方、虐待が問題視されている。
が、ころし方が良ければころしてもいいか?と言われると、分からない。。

弱肉強食

生き物の世界も、人間の社会も。
古く昔から、世の中の“アタリマエ”だ。


個人が、肉を食べずに生きる道もある。


だが、だからと言って全人類がベジタリアンになる事はないだろうし、現状はなかなか変わらないだろう事実もそこにはある。


犬や猫に関してもだ。売る為に劣悪な環境で子供を産ませる。無理矢理に子供を作らせる。見た目が悪いところされる子犬や子猫。障害があれば即処分。


この世の中は、どうなっているんだろう。頭が、心が、ついていかない。




鶏の羽根を毟った後は、その構造へ興味が湧いた。


血は思ったよりも少ない。
内臓を取り出す方法、切る順番、切りやすいポイントを教わる。始めに、首と足を切った。


胃袋は固く、その内側は黄色く、模様は脳に似ていた。そこには餌がパンパンに詰まっていた。さっきまで、しぬとは思っていなかった命だ。


腸は広げると蝶の様だった。心臓は小さく、肺も僅かだった。内臓の匂いは鶏肉らしかった。
食道は、なかなか千切れなかった。







私は、焼き鳥屋さんで、鶏の内臓を食べる時に、これは何羽分の鶏の心臓だろう?
と考えた事はあったかな。


手羽先や鶏の足の肉付きの良し悪しを、意識して食べた事はあったかな。


私が普段日本で口にしていた鶏肉のルーツを知れば知る程、信じられなくて、悲しくて、気持ち悪くなった。


(検索すると、本当に沢山の事実を知る事になります。目を背けたくなる光景ばかりです。が、「知らない」で生きていくのではなく、私は知りたい、「知った上で、生きたい」と思いました。)


言い方を変えれば、私は自分の知的好奇心の為にこの行為をしたに違いない。
私は偽善者だと思う。
それが良いとか悪いとか、答えはない。


この経験を多くの人に伝えて、考えて貰う機会を作ろうとする事も、エゴで、自己満足に過ぎないと思うと、胸が痛む。


いくつもの命の犠牲があって、生きていると言う事。

(命を頂いてる事は、知っていたけれど、頭で理解してるのと、実際に体験するのは、大きな違いがあった)


そんな事を毎食毎度、意識して食べてはいなかった。



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【美しい】


屠殺をしながら、何度も湧いた感情。
しんだ鶏の表情は、どこか安らかだった。
そう思いたかっただけかもしれない。

人間は、自己防衛本能があるから。
自分を守る為に、都合のいい解釈をしただけかもしれない。


でも、やはり美しかった。


足も、内臓も、張りのあるプリプリの肉も、綺麗だと感じた。

切断した頭を撫でながら、色んな事を自問自答した。

色んな感情を、整理した。
それは、なかなか難しかった。

そんな簡単な問題ではなく
これで終わりではないから。


私はもっと


ー知りたいー


そう思った。


命の事。
食の事。

食べる事は、生きる事。

生きる為には避けては通れないから。


「屠殺して、私は何を思うだろう?」


その答えは、
現時点での答えは、、、


「もっと知りたい」


だった。


そして、もう一つ。


ー誰かが毎日毎秒、鶏や豚や牛を絞める役を担ってくれているー


と言う事実。


だから、私はこの手を汚す事なく、美味しい肉が食べられるのだ。
笑っていられるのだ。
平気で、「お腹いっぱいで苦しい」と言えるのだ。


日常生活でもそうだ。
誰かが、してくれてるから、自分がやらなくて済んでる事は、山程あるのだ。


忘れてはいけない、大切な事を再確認した。



そして、これから発する


いただきます


と言う言葉は、以前より重みを増すだろう。




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紛れもなく、私が一つの命を奪ったのだが、どうしても


一つになった


と言う感覚が湧いた事が忘れられない。
これもまた、防衛本能なのか。



もしかしたら、鶏の魂が生まれ変わり、いつか私と出会い、恨まれる日が来るかもしれないなぁ、なんて考えたりもした。


ころされてもおかしくない。
一つの命を奪った代償は大きい。


今、私は日毎にこの経験をした事実を、少し悔やんでしまいそうになっている。
それ程、大きな事をした。と言う事の実感が、やっと湧いたのだ。


あの時、私の心は麻痺していた。
感情を必死で抑えていた。自分を守る為に。



人間や犬や猫はころせないのに
何で鶏はころせたんだろう?
可愛がってる鶏でもころせたか?
食べる為?普段食べてるから?
虫は食べないのにころす事もある。
不都合だところすの?
ころして良いもの、悪いものの違いなんてあるの?

命の重さに優劣も大小も、無い筈。
誰かが、命を奪って良い訳なんて、無い筈。


犬や猫の殺処分を、反対する。
しかし、鶏や牛や豚がころされるのは黙って、肉を食べる。
肉は、死体であり、命だと言う事が、わかりにくくなっている、日本の現代。



正解なんてあるの?

苦しい。悲しい。分からない。



まだ、答えが出ない事が沢山ある。


人生は、世の中は、答えのないものだらけだ。


きっと、それぞれ、「自分の正義」に従って、落とし込み、生きていくのだろう。


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焼いて食べる筈だった頭と足は、隙をつかれ、猫に食べられてしまったが。。


夜は、パラグアイ名物“アサード”(バーベキュー)



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自分がころした鶏を食べた。


すごく、すごく美味しかった。
細かい所まで綺麗に、味わって食べた。



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泣き叫ぶと思った。
怖気づくかと思った。
食べられなくなるかもと思った。


色んな意味で、想像と異なる結果になった屠殺。


これで、命の重みが分かったなんて思わない。
むしろ、全然分かってない事がまだまだあるって気付かせてもらった。


屠殺は、振り返れば一瞬の出来事だった。


私は人間だから、自分に都合の悪い事は、忘れてしまうんだろう。


だからまた、やるかもしれない。



ー大切な事を、忘れない為にー



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今回、貴重な経験をさせてくれたお父さんに、感謝しています。


お父さんは一緒に鶏をころしながら「生きてくためだべぇ」と言いました。


その言葉は、私のどんな言葉や感情よりも重さがあった。
生きる(食べる)為に、必死だった過去がある人だから。


年末年始に、「民宿小林」では飼っている豚を殺して食べるみたいです。興味のある方は、是非訪ねて見てください。




※今回の屠殺は、お父さんの好意でやらせて貰っています。この宿のイベントとして定期的にある訳でもなく、頼んだら必ずさせて貰える訳ではありませんので、ご注意下さい。



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(鶏を絞めた日の夕陽。悲しくも美しかった。)



※長い記事を読んで下さりありがとうございました。



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